現行の法制度である皇室典範では女性天皇を認めていません。
皇位継承について皇室典範は「男系の男子に限る」としています。
しかし
皇室研究者で神道学者の高森明勅氏は「大宝律令、養老律令では女性天皇が認めていた」といいます。
今回はその根拠と、昔の人がなぜ女性天皇の即位を許したのかについて考えます。
高森明勅氏について
高森明勅氏は神道学者で歴史家、または皇室研究者です。
国学院大学の博士課程修了後、主に皇室関係のコメンテーターとして活躍。
他にも日本文化総合研究所の代表や麗澤大学の外部講師を務めるなど、幅広く活動しています。
皇位継承における主張ですが、同氏は女性天皇を容認。
以前は男系の継承を支持していましたが、側室制度廃止による皇位継承者の減少を経て現在の主張となりました。
高森氏のコメントの概要
NEWSポストセブンのインタビューで高森氏は重要なことを述べています。
一部、引用します。
「女系の血が許されていなかったとは言えません。なぜなら、女系天皇を認める文献が残されているからです。古代日本の基本法だった『大宝律令』『養老律令』では、天皇の子供は親王・内親王の地位が与えられるという規律がありました。さらに、女性天皇と男性皇族の間に生まれた子供も同じ地位を与えるよう定められていました。」
昔の法律は女性天皇を認めていたのか
本当にに大宝律令や養老律令は女性天皇を認めていたのでしょうか。
順番に見ていきましょう。
大宝律令とは
大宝律令は701年に制定された法律。
律令は明文化された法律、という意味です。
刑法的な性格を持つ『律』と主に行政法的な性格を『令』がまとめ定められたのは当時が初めて。
大宝律令の中身は不明?
残念ながら大宝律令は我々、一般国民が根拠を特定することは難しいです。
なぜなら原文が残っていないから。
制定内容の資料は未だに見つかっていませんので、次に進みます。
養老律令とは
続いて、養老律令とは、大宝律令に続く律令のこと。
757年に制定され、当時は政治体制の安定基盤となりました。
養老律令には原文があった!
養老律令には原文が見つかっており、現代語訳もあります。
詳細を見てみましょう。
下記、養老律令第十三継嗣令全四条のうち1条目の皇兄弟子条の引用です。
天皇の兄弟、皇子は、みな親王とすること{女帝の子もまた同じ}。それ以外は、いずれも諸王とすること。親王より五世(=五世の王 ※ここでは親王を一世として数える)は、王の名を得ているとしても皇親の範囲には含まない。
上記を言い換えれば「女性天皇の子も、男性天皇と同様に『親王とする』」です。
要するに律令は女性天皇の皇子の存在を前提に親王という立場を設定していたことになります。
したがって、高森氏の「大宝律令、養老律令では女性天皇が認めていた」は事実です。
なぜ先人は女性天皇の即位を認めたのか
神話の部分も含めて神武天皇即位から現在まで男系で繋がれてきた皇統。
ではなぜ女系天皇誕生につながる女性天皇を即位させてのでしょうか。
結論から言うと、男系を維持するためだと考えます。
昔は現代以上に皇位継承者が不足していました。
今では秋篠宮殿下、悠仁親王殿下、常陸宮親王殿下の御三方がいらっしゃいますが、古代は一人も後継の男系の男子がいないこともありました。
そこで選択肢としては下記が浮かびます。
- 皇統の存続を諦める
- 女性宮家を創設する
- 男系の女性天皇を即位させる
あなたが古代日本の国民ならどの選択肢をと取りますか?
皇統の存続を諦める
これだけは絶対にあり得ませんでした。
皇統の存続は手段ではなく、それ自体が目的だからです。
天皇が途切れずに即位し続けることに先人たちも意味を見出していました。
女性宮家を創設する
こちらも決して容認することができませんでした。
なぜなら「皇統の存続」という目的に対する手段が「男系(で原則は男子)」だったためです。
女系天皇の即位は皇統の終焉を意味します。
男系の女性天皇を即位させる
消去法で考えて残ったのが、この女性天皇の即位です。
決して積極的支持ではありません。
しかし皇統を正当な形で守るために、女性天皇をやむ終えず即位させました。
肝心なその後ですが、女性天皇は子に皇位を渡さなかったり、そもそも子を設けないように工夫し男系を守りました。
このように先人は一時的な手段として女性天皇の即位を容認し、皇統を守った歴史があります。
養老律令に女性天皇を認める記載が見つかったのも、万が一の自体に備えて頭を捻った結果に違いありません。
最後に
皇室研究家・高森氏の主張は正しく、実際に養老律令にて女性天皇を認めている条文が見つかりました。
これは極めて重要であり、先人たちが皇統を守るために知恵を絞った結果です。
その根拠としては男系が守られたことが挙げられます。
現代においては側室制度が廃止となり皇位継承者の確保がより困難な状況となりました。
我々は歴史にも学びつつ、今後の日本のために議論を加速させる必要がありそうです。